Interview 024

Saeko Takahashi

Saeko Takahashi

“刺すこと”は、どこか
心を落ち着かせる作用がある。

May 20, 2021

刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。第二十四回目は、お母様がとっておいてくれた布にはさみを入れることからバッチ作りを始め、世界のあらゆる国々で出会った布や装身具を組み合わせて形にしているAcchi Cocchi Bacchi(アッチコッチバッチ)の高橋彩子さんにご登場いただきました。


ーー子どもの頃からバッジづくりをはじめるまでの経緯を教えてください。

小さい頃は(1967〜1990年にNHK教育テレビで放送されていた子ども向け工作番組「できるかな」の)ノッポさんになるのが夢でした。彼の手から生み出されたものが生き生きと動き出して、新しい世界が作られていく様子に憧れたんです。当時、通っていた絵の教室の先生が自分にとって身近なノッポさんで、先生が美大出身と聞いて、私も同じところに行きたいなと思っていました。結局、大学受験で美大は受けませんでしたが、気合いが足りなかったのか、どこにも受からず(笑)。浪人中、美容室でたまたま手にとったファッション誌「SPUR」(集英社)を見て衝撃が走って、「こんな雑誌を作る人になりたい」と編集者を目指そうと決めて、社会学を学ぶために中央大学文学部に進学しました。
在学中、作家の沢木耕太郎さんが講演をしに来られたのですが、そのときに読んだ「深夜特急」に影響を受けて、アルバイトでお金を貯めてタイに行きました。アルバイト先が元町の喫茶店で、帰りに中華街を通っていたのですが、その頃人気だったアジアン雑貨のお店に毎日のように立ち寄って、布や小物を見るのが好きだったんですよね。タイが人生初の海外旅行で、そこで初めて現地の民族衣装を目にしたり、布を買って帰ったりしていたのが、今につながっています。

入りたかった出版社はかなりの倍率で、もちろん入ることはできませんでした。結局、家族経営の小さな出版社に入社して、2年ほどインテリア誌の編集をしていたのですが、いろいろな事情で思いがけず辞めることになってしまって。しばらく家にこもっていたら、見かねた母に「どこか行ってきたら?」と言われて、すぐ「そうします!」と答えました。そのとき、アジアにはすでに何度か行っていたので、本や展示などで触れる機会が多くて興味を持ったメキシコに行くことにしたんです。帰ってきたら働こうと思っていたので、見たかった「死者の祭り」に合わせて1カ月間ぐらいの旅のつもりで日程を組んだのに、何と1年半もいました。

ーーメキシコではどんな暮らしをされていたのですか。

いろんな街を巡る中で、グアナファトという街のドミトリーで出会ったアメリカ人に「隣町のサンミゲル、好きだと思うよ」とすすめられて、行ってみたんです。ある日、サン・ミゲル・デ・アジェンデのカルチャーセンターを見に行くと、ペインティングやスカルプチャー、ダンスなど、いくつかある部屋のひとつに「ティテレス」というのがあって。中をのぞくと、布や粘土、人形などがバーッと置いてあって、「ノッポさんの世界だ!」とうれしくなりました(写真上から1枚目)。
聞くとそこはパペットの教室で、その日から、人形劇の先生で脚本家でもあるモニカという女性のお手伝いをすることになったんです。「ここで何をしてもいいわよ」と言われて、縫いものをしたり、張り子を作ったり。ものを作ることを教えてもらいましたが、素晴らしい技術が身についたというより、生き方を教わったと思っていて。今、バッチを作っているときに「何か違う」と感じたら一からやり直すのですが、「この程度でいいや」というのは絶対にやっちゃいけないというのは、このときに学んだことです。
思い返すと、その頃はまだ若くて、抱えているものもないから、不安もまったく感じていなかったです。一度、ビザの更新のために日本に帰ったときに母も「いいね、住んじゃえば」と背中を押してくれました。「メキシコって怖くない?」と聞かれることもありますが、私は全然。飛行機で上から見たとき「ノッポさんが作った街みたい」と思って、着いた瞬間に好きになったし、すごく楽しくて、日本が恋しくなることもほとんどありませんでした。ごはんだけは合わなかったけど(笑)。

ーーバッチを作り始めたのは、日本に帰ってきてからですか。

帰国して、もの作りがしたいと思いながら会社勤めをしてモヤモヤしていたとき、母が病気になって、ほどなくして亡くなってしまいました。家の片づけをしていたら、昔、私が集めていた、さまざまな国や地域の布類が入った箱が出てきたんです。以前は好きだったはずなのに、そのときは、とっておいてくれた母の気持ちや作った人が込めた思いを受け止めきれなくて。でも捨てるのも忍びないなと考えていたとき、なぜかふと「切ってみよう」と思ったんです。実際にはさみを入れたら本当に気持ちがよくて、すごく元気になって、切るのをやめられなくなりました。切ったものを組み合わせていくうちに何かにしたくなって、「役に立たないものにしたいけど、工夫して使えるといいな」と思って、後ろにパーツをつけたのがバッチのはじまり。たくさんできたら誰かに見てほしくなって、手創り市に出たり、母との思い出があるお店に営業に行ったりするようになりました。

「Acchi Cocchi Bacchi(アッチコッチバッチ)」は、語呂がいいのと、あっちにもこっちにも行けるバッチになったらいいなと思ってつけました。「アッチコッチ」だけに、バッチには2つ以上の国や地域の布を使うと決めています。ただ本来、「バッチ」は「束ねる」という意味で、つけるほうは「バッジ」なんですけどね。

ーーバッチの元になる素材は、ご自身がいろいろな国を旅する中で見つけたものなんですよね。

そうです。バッチを作るうえでもうひとつ決めているのは、私が買うのはハギレだけで、ドレスなど完璧な状態で残っているものは使わないこと。完璧なものは、また別の使い道があると思っているんです。
素材はこの棚(写真上から3枚目)に、タイ、中国、アフガニスタン、メキシコ……と国や地域別にわけて入れています。国によって違うのがおもしろくて、中国のものは糸も細いし、群を抜いて細かくてきれい。同じアジアだから色が肌になじむのか、バッチにしたときも人気なんですよね。でも私が好きなのはやっぱり、住んでいたメキシコやその頃に訪ねていたグアテマラで出会ったもの(写真上から4枚目)。左側がそうなのですが、少しつくりが雑だったり、柄が大きかったりして、バッチにはしにくいですね。
作るときは自然と、メキシコで受けた衝撃や感じとった違和感を思い出しながら手を動かしているところがあります。例えば日本の植物はきれいに整っていますが、メキシコのブーゲンビリアは笑ってしまうくらい大きいし、それを整えようともしていない。そんな感じで、パーツをポンポンときれいに並べてそれっぽいブローチを作るより“ボン!”と大きくつけたいし、長いものをつけるとしたら、普通に考える一歩先の長さにしたい。そういうことは、この土地から学んだのかなと思っています。
デスクの横に貼っているのは、バッチの元になるもの(写真上から5枚目)。布を使っていくとどんどん小さくなって、かけらが増えてくるのですが、忘れないように、こうして貼っておくんです。「さあ、作ろう」となったとき「どれが使えるかな」と見ています。

ーー普段、バッチはどのようにつけていらっしゃいますか。

実は、自分では完成品はひとつも持っていません。「とっておけばよかった」というものもありますが、そうするとキリがないから。あと初めて布を切ったときに自分の中で風が起こるというか、空気が動くのを感じて、それが目的で作っているので、集めることにはまったく興味がないんです。
昨年、初めて本を作ることになったとき、バッチを集めるためにお付き合いのあるお店の方を中心に声をかけたのですが、その中に、ずっと忘れられない、思い入れのあるパーツを使ったバッチを持っている方がいて。笑っているみたいに見えてハッピーな気持ちになる大好きな布だったので、戻ってきてすごくうれしかったし、「また会えるんだ」と思えたので、やっぱり手離してよかったです(写真上から6枚目)。とにかく“動かしたい”から、「この布はもったいないから使わない」「少し待ったら何か降りてくるかもしれない」というのもなくて、「持っているものは全部使い切ろう」「布は切って動かさないと動かない」と思っています。ただ、今はなかなか海外に行けない状況だから、素材の在庫がだんだん少なくなってきて、少し困っています(笑)。

ーーSee Sew projectでは、刺しゅうの魅力を様々な方からお伺いしています。高橋さんが考える刺しゅうの魅力を教えていただけますか。

私が素材として使っている民族衣装や装飾品は、どれも作った人が誰かわからないものばかり。でも同じ刺しゅうの手法で作られている布も、よく見ると刺し方が違って「こっちはどうやって刺しているかわからないほど密度が濃いから、神経質な人かな」「こっちはそこそこ粗いから大ざっぱな人かも」なんて考えるのがおもしろいです。
これはアフガニスタンの布(写真上から7枚目)でとても大きいのですが、刺しゅうが細かいし、名前が刺してあったりして手が込んでいて、色合いもきれいですよね。きっと持ち主にとって大切なものだったと思いますが、何で売ったんだろうと想像すると切なくなります。私は刺しゅうはできないし、ミシンも使わないのですが、刺すこと、縫うことって、どこか心を落ち着かせる作用があるし、尊い行為ですよね。私も母の病室で、そのとき履いていたスリッパにビーズを縫いつけていたら無心になれて、救われたことがありました。これを作った方に会うことはきっとないけれど、糸の重なりから思いが伝わってくる。ものに執着したくないからバッチ作りを始めたはずなのに、「この人、今どうしているかな」と考えると、小さなかけらも捨てられないなと思います。

バッチは手を動かしながら考えて作るので、事前に紙に形を描いたりすることはありません。知らない誰かが作ってくれた布から切れる場所を探して切って、組み合わせていく。その人たちが刺した糸の跡があるからバッチの形ができるのですが、切り方はいくらでもあります。布を切ることに対して「申し訳ない」という気持ちがあるから、どうやって切ったらおもしろいかを常に考えていて。これまでに見たことない形ができあがると、「ああ、ちゃんと生かせたな」と思えるんです。

text:増田綾子 photo:中矢昌行


取材後記

高橋さんの作品は、とても力強く魅力的です。 取材をお願いしたいと思った理由は、名もなき作り手の刺繍をたくさん見ているから。そして、その刺繍に手を加えるという行為、その想いを聞いてみたかったからです。
取材を通して、名もなき作り手への想いとご自身の中で決めているルールがきちんと整理されているからこそこんなに力強く美しい、魅力的な作品が生まれるんだと合点がいきました。
また、取材の中で聞かせていただいた『刺す(縫う)という行為は心を落ち着かせる作用があるのかもしれない』というお話は、わたしも同じように感じることがあったので、とても強く心に残りました。

やはり、作品には人柄が反映されると思います。
高橋さんが生み出す、芯がしっかりとした包容力の中にチャーミングさがのぞく作品をぜひ多くの方に見ていただきたいです。
そして、その中にある名もなき作り手の仕事にも思いを巡らせていただけると、より刺繍の魅力、高橋さんの作品の魅力を感じていただけるのではと思いました。

atsumi


Saeko Takahashi

神奈川県横浜市出身。「日常でも非日常でも、ここにいてもどこにいても、旅を感じていたい」をコンセプトに、メキシコやグアテマラ、タイや中国などで買いつけた民族衣装の布や端材、装飾品などを用いて、ひとつひとつ手縫いでバッチを作る。2020年11月、2010〜2020年に制作したバッチをまとめた初の著書「BACCHI WORKS」(DIGINNER GALLERY)を出版。

http://saekotakahashi.com/