Interview 006

National Museum
of Ethnology Part.02

National Museum of Ethnology

比較するとわかってくる、
刺しゅうの奥深さ。

May 7, 2018

刺しゅうの魅力などを聞く連載インタビュー。今回は番外編。世界中の刺しゅう作品を所蔵している国立民族学博物館に、過去の刺しゅうがもっている意味などを探りに行きました。お話を伺ったのは、インド西部の手工芸を長きに渡り研究している上羽陽子さん。この後編では、いくつかの展示資料を実際に見ながら、それぞれがもつ特徴に触れていきます。

* Part.01はこちらから


――まずラバーリー(インドの牧畜民)の刺しゅうの特徴をお教え下さい。

最も象徴的なものはガラスミラーを縫い留めるミラー刺しゅう(2番目の写真、右側。円になっている部分がミラー)というものですね。元々は宮廷衣装に使われていた技術なのですが、16世紀初期から19世紀後半のムガル王朝時代に吹きガラス製造が普及し、現在は村落に住む庶民の人たちが主に用いています。

ラバーリーには1970年代くらいまで幼児婚という慣習がありました。ミラーには子どもを邪視から守るという意味があって、わずか数分の儀式の間だけ身に着けるといったこともあります。名づける際も同様です。

ラバーリーの社会には、女神によって個人名がつけられるならわしがあり、司祭者が自らに女神を憑依させて名前を決める。そのときもミラー刺しゅうが施された帽子をかぶせるんです。命名の儀式は女神の祭礼日の朝に行われ、お母さんがそれまでにせっせと縫い、つくり上げていきます。

――文様も独特ですよね。動物のモチーフが多いように思えるのですが、それぞれに意味があるのでしょうか。

オウムやサソリは愛や豊穣の象徴、吉祥文様として描かれています。人間にとって危険な存在であるサソリは意外なように思われるかもしれませんが、毒をもって相手を一撃で殺す、つまり愛には力が必要というメッセージが込められているんですよ。

――そういったしきたりや意味、刺しゅうのやり方は、どう伝承されていくのでしょう?

例えば、パジャマをいつから自分で着られるようになったのか、と聞かれても誰も答えられないですよね。それと同じで、ラバーリーの女の子にいつから刺しゅうが縫えるようになったの? と聞いても「う~ん」と悩んでしまいます(笑)。教えるのはおばあちゃんなんですが、いちから覚えさせるという感じではないんです。

はじめは針孔に、よく見えないからと糸を通させるところからはじまり、次に縫わせてみて、と徐々に体験させていく。同時に作法や村の歴史、文様の意味を話すんですが、子どもにとっては遊び気分なので、自然と身についていくんですよね。

――なるほど。そうなると、ラバーリーの人たちしか方法がわからないし、かつ身体で覚えているから説明もなかなかし辛いということになりますね。

そうですね。私は芸術大学で染織を学んでいたので、刺しゅうの調査・研究をするのと同時に、現地の人たちと一緒に手を動かしながら方法も知っていきました。そこで感じたのが、映像や写真だと雰囲気はわかってもプロセスがわからないということ。

民博は2009年から西アジアとアフリカ展示場を皮切りに、全面的なリニューアルを少しずつしはじめました。この南アジア展示場の改修が終わったのは2015年の春。そこで、方法をわかりやすく伝えるために取り入れたのが染織技術解説パネル(写真上から3~5番目)です。表裏でひっくり返すことができる仕組みになっていて、これ(3、4番目)はラバーリーの刺しゅうの工程を示しているのですが、表に対して、裏面には糸がほとんど出ていないことがわかると思います。

いわずもがな、布も糸も無限にあるわけではなく、村落の庶民であるラバーリーも購入しなくちゃいけないので、いかにして節約しながら表面を彩っているのかという工夫と知恵が隠されていることが、この1枚でわかるようになっているんです。

――(「Part.01」で)職人についての話も出ましたが、ラバーリーとはまた性質が違うのでしょうか。

ラバーリーはあくまで“自家用”で、職人がつくるものは“販売用”というのが第一の違いでしょう。インド西部とひと括りにしても、目的が違うとできあがるものが大きく変わっていくことを少し説明していきます。

南アジア、特にインドで染織が盛んな理由がふたつあって、まずひとつが自然環境。北にヒマラヤがあり、南にアラビア海が広がる恵まれた環境にあるので、繊維素材が豊富にとれるんです。もうひとつが現在もインドに多くいる優れた技術をもつ職人の存在です。

先ほどの吹きガラスの発達もそうですが、ムガル王朝時代にペルシャから職人を多く呼び寄せました。上層階級の人びと向けやヨーロッパへの輸出を目的に、贅を尽くした技術が発達しました。現在でもその技術が国家政策などによって継承され、職人が今でも多く残っているというわけです。

インドは職人カーストの分業で成り立っている国で、職人が商人としての役割ももち、工房経営もするというのも特徴です。この木の持ち手がついた針(写真一番下。わかりにくいが、先端だけわずかに曲がっている)は、アリと呼ばれる道具で、もともと王朝や貴族の人が着る贅沢な衣服に刺繍をするものなのですが、縫い目が全くわからないほど細かな刺しゅうを施すことができます。

“分業で成り立っている”ということは要するに、その針だけをつくる職人がいて、その人がいなくなってしまったら、刺しゅうの伝統そのものが崩れてしまうんですよ。ちなみにこちらはラバーリーの刺しゅうのような文様の決まりはなくて、ファッショントレンドのように柄は変化していきます。

片やラバーリーのように村落の中で伝承されてきた刺しゅうは、高価な素材、特殊な道具を用いる職人の刺しゅうとは異なり、母から娘へと技術が継承されています。そこには、文様や色彩に対しての意味があるため、同じ刺しゅう布といっても出来上がりの風合いも全く違います。

そうやって比較していくと、一枚の刺しゅう布から、つくられている地域の社会や文化を知ることができるのです。
 

text:大隈祐輔 photo:中矢昌行


Yoko Ueba

国立民族学博物館 人類文明誌研究部 准教授。専門は、民族藝術学、染織研究。特にインドを対象として、つくり手の視点に立って染織技術や布の役割などについて研究している。近年は、現代「手芸」の動態に関する共同研究にも手を伸ばしている。近著に『インド染織の現場 つくり手たちに学ぶ』(臨川書店)。


Information

国立民族学博物館 次回企画展「アーミッシュ・キルトを訪ねて―そこに暮らし、そして世界に生きる人びと」

会期:2018年6月21日(木)- 9月18日(火)

場所:国立民族学博物館 本館企画展示場

開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)

観覧料:¥420(一般)、¥250(高校・大学生)
*中学生以下は無料

休館日:毎週水曜日

住所:大阪府吹田市千里万博公園10-1