Interview 022

lindzeanne

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糸という素材を使い、
古い生地というキャンバスに抽象画を描く。

March 19, 2021

刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。第二十二回は、東京を拠点に活動する刺繍作家のリンゼアンヌさんです。下町・亀戸にある彼女のアトリエで、日本の布や刺し子への愛、芸術としての刺しゅうへのアプローチについて伺いました。


――日本で生活し、仕事をするようになったきっかけを教えてください。

幼稚園の頃は週に一度日本語の授業があって、中学生の時には学校のプログラムで、日本からの留学生がランダムに1ヶ月ホームステイに来てくれていたんです。大学ではたまたま外国語科目として選んだのが日本語でしたし、いま私が日本で暮らしているのは意外な成り行きの連続。いつもいいタイミングで、ベストな場所にいたということでしょう。

私がアトランタのジョージア州立大学を卒業したのは、2008年のこと。アメリカ経済が、メルトダウンの真っ只中だった頃です。卒業までに大阪での1年間の留学を経て日本語を専攻し、東アジアの政治経済と応用言語学の学位を取得したため、卒業後は就職するか、借金をして日本文学の博士号を取るか、どちらかの選択をしなければなりませんでした。

私は前者を選び、語学指導等を行う外国青年招致事業(JET)の教員交流プログラムに応募して、広島県呉市に約5年間滞在しました。その間に教育学の修士号も取得し、契約が切れたところでパートナーと一緒に上京。私のバックグラウンドは教育学なので、いまは主に日本に住む中学1、2年生のイングリッシュ・スピーカーに文学や国語を教えています。

――刺しゅうを始めるまでのご自身の経歴について教えてください。

広島で修士号の勉強をしていたとき、精神的ストレスがたまり、しばらく休んだことがあったんです。それで抽象水彩画を描き始めて、5〜6年は続けました。クリエイティブな両親のもとで育ったわけでも、美術学校のようなところに通ったこともありませんが、昔からアートが好きだったんです。なかでも抽象表現や、アートの技法のひとつであるマークメイキングの考え方が好きでした。

修士を終えたあとは、絵を描くことに少し飽きてしまったんですね。誰かと共有するわけでもなく、ただ描いては捨てたり、人にあげたりしていました。そして、仕事の関係で千葉に引っ越したときにミシンを手に入れたことからファッションにのめり込み、気晴らしに服でも作ってみようかな、と思うようになったんです。編み物に夢中になった時期もありました。パターンを追うのが苦手で、こちらも飽きてしまいましたが…。

そんなある日、インスタグラムを見ていたらテッサ・パーロー(Tessa Perlow)という刺しゅう家を見つけました。彼女は古着に、メキシコの伝統的なモチーフをステッチで表現していたんです。昔からスローライフを送り、よりエシカルな方法で物事にアプローチすることが好きだった私にとって、古着を使った彼女の作品はとても興味深く感じられました。服を作るためには生地が必要で、生地を作るためには原材料も必要ですが、そんなことをしなくても、世界にはすでにたくさんの古着が存在している。新たに生地を必要とする服づくりは、私には合わなかったのです。

――どんな毎日を過ごしていますか?

最近は、教師として働く時間が少なくなりました。かつて私のアイデンティティは教育者でしたが「それはたぶんライフワークではない」ということに、少しずつ気づいていったのです。10年前のアカデミックな私が見たらきっと呆れるでしょうが、刺しゅうをする時間が増えていまはワクワクしています。

朝早く起きて、学校へ行く前に最低でも2〜4時間は刺しゅうをするんです。いまはCOVID-19の関係で、自宅で過ごす時間が増え、週末には1日8時間も刺しゅうに時間を費やすことができるようになりました。

没頭していると、すぐに時が経ってしまいますね。簡単な作品はすぐに仕上がりますが、太い糸を使う大きな作品などは時に集中力を要します。繰り返し糸を刺す時間は充実していますし、達成感もあるんです。

――日本の「刺し子」と「ボロ」とはどのようにして出会ったのですか?

刺しゅうについて調べ始め、掘り下げていく過程で、5年ほど前に刺し子に出会いました。青は私が水彩画を描くときにメインにした色のひとつだったので、インディゴブルーに惹かれたのかもしれません。青と白のコントラストでつくられる模様にも、心を打たれました。

私の刺しゅうは刺し子のように見えるかもしれませんが、これは刺し子ではなく、青を重ねてできる模様です。“そばにある日本の生地を使って、絵を描いている”と言い換えてもいいかもしれません。

刺し子と出会ってからは、自分なりのやり方で刺し子をして遊んでいました。そしてパートナーに勧められて、それをインスタグラムでシェアしてみたんです。まさか見ている人がいるとは思わなかったのですが、だんだんと興味を持ってくれる人たちと接するようになり、使い古した布をつなぎ合わせた「ボロ」のことを知りました。

私はボロにとても憧れていますが、自分の作品は刺し子でもボロでもないと思っています。多くの人が私の作品を刺し子と表現していますが、なによりも私自身は布や糸を使って絵を描いているという感じです。ボロは手縫いの一種に過ぎません。

――刺しゅうや手芸全般において、日本とアメリカでリンゼーさんが感じる共通点などはありますか?

アラバマ州のギースベントにあるコミュニティのキルト作品と、昨年(2019年)にパートナーの母親から受け取ったプレゼントを見るまで、私は日本と北米の手芸の共通点について考えたことはありませんでした。

写真(上から6枚目)は、1800年代後半のメリティアン・ミシシッピ州で、パートナーの曽祖母が結婚式用に作った手縫いのキルトです。夫婦のこれからの生活に必要なものが詰まったウェディングチェストの中に入っていて、結婚祝いとして贈られました。これはデニムや、古いスーツのジャケットで作られています。

アメリカ南部の奥地“ディープサウス”で育った彼の両親は最初に農場を出て行った人で、そこで生まれ育った私も、残念ながらこの地を離れるまで、その地域の豊かなキルトの文化に気づくことができませんでした。アメリカのキルトのパターンや、幾何学的な形については、とても好きだなと感じます。

――今後、どんな刺しゅうをしていきたいですか?

私はいつも、大きな作品と小さな作品を同時にいくつか作っています。大きな作品は自分のために、小さな作品は私の作品の購入を検討してくれている人のために。小さな作品をつくるときは、相性の良さそうな色をすぐに組み合わせることができて、満足感も得られます。

それから、何ヶ月も何年もかかるような大きさの作品もあるんです。いまは、大きなタペストリーをふたつ作っています。サークルのモチーフがとても気に入っていて、ひとつは1ヶ月ほどで完成する予定です。サークルは、欠けることのない完全な状態や、完成を表すシンボル。その比喩表現として、好きな形なんです。

将来的には展覧会をやってみたいのですが、いまは教師として働いている時間が長く、積極的に展覧会に興味を持ってくれる人を探す時間がありません。来年の夏には、名古屋で展覧会を開催しようと思っていますが、どれだけ作品づくりができるかにかかっています。COVID-19が終息し、もっと展示の機会が増えたらいいですね。

いまは、2〜3種類のスタイルのステッチをしています。モチーフのひとつは、サークル。それと私は、東京の建築物の形が大好きなんです。「東京に住んでいて飽きないのか」と聞かれることがあるのですが「東京の建物が空に描く、四角い輪郭が好きなだけ」と答えています。そこからインスピレーションを得て、もっと幾何学的な、抽象的な形を作りたいと思っているんです。

他にも作ってみたい作品があります。宇宙に浮かぶサークルのアイデアです。天体が動き回っている様子にも惹かれるから。鮮やかな色の糸を使って、このサークルのモチーフをもっと大きなスケールでつくってみたいですね。

それと、私は色が大好き。ちょっとひとりよがりな言い方かもしれませんが、相性のいい色を見つけるのが得意なんです(笑)。色や形がどのように作用し合っているか、空間や動きの上で何度も試してみるのが好きです。やりたいことは、本当にたくさんありますね。

text/photo:ナタリー・カンタクシーノ
日本語編集:仲野聡子


Lindzeanne

2009年に来日し、2014年より東京を拠点に活動する刺しゅう作家。日本の古い布を手に取り、まるでそれに絵を描くように刺しゅうを使ってアプローチしている。エシカルな精神を持ち、幾何学的な形と鮮やかな色彩で自分自身を表現。2021年夏には、名古屋にて展覧会を開く予定。

https://www.lindzeanne.com