Interview 041
Richard McVetis
目に見えない時間や空間を、
自由に、描くようにステッチ。
February 20, 2023
刺しゅうに惹かれた理由やその魅力を聞く連載インタビュー。英国・ロンドンを拠点に活動するアーティスト、リチャード・マクヴェティスさん。一瞬、点描画かと見紛うほどの緻密な作品は、本人曰く「時間と空間のマッピング」。自身が捉える時間や空間のアイデアを、シードステッチで描くように記しています。その独自のスタイルについて、お話をうかがいました。
ーー刺しゅうを始めたきっかけについて教えてください。
20歳まで刺しゅうの経験はなかったんです。子どもの頃からドローイングが好きでずっと絵を描いていたんですが、進路を決める時期にある先生から「もしかしたら好きかもしれないよ」と勧められたのをきっかけにマンチェスター・メトロポリタン大学の刺しゅうコースに進みました。そのコースはとても面白くて、特にハンドステッチに興味を惹かれました。ある日、ロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムで16世紀のハンドステッチ作品『Shepheard Buss』を見たんです。ブラックワークエンブロイダリーという、その名の通り黒糸のみで刺された特殊なスタイルのものなんですが、白い生地と黒糸の美しさ、細やかなステッチにとても感動しました。そして作品から時間と労力を費やした作り手の姿が感じられたんです。これは刺しゅうへの理解や、自分のスタイルを築くうえでとても大きな出合いだったと思います。はじめてハンドステッチをした時は……難しかったから、正直あまり楽しくはなかったかな(笑)。でも徐々に上達していったし、僕は何より作ること、そして作っているプロセスが好きなのでどんどん面白くなっていきました。
ーーリチャードさんの作品はすべてが時間や空間のマッピング(=記録したり、地図のように示すこと)なのだとか。
はい。例えばこれ(写真3枚目)はイギリス周辺の炭鉱を刺しゅうした、とても個人的なリサーチを元にした作品です。我が家は祖父も父もマイナー(炭鉱夫)で、父は仕事のためにサウスアフリカに渡った時期もありました。マイナーは当時、技術が求められる重要な職業で、マテリアルは違うものの、自分の手で素材を扱い仕事をしているという意味では、僕と父・祖父は共通していると思っているし、彼らの歴史が僕にいろんな影響を与えています。家族が働いてきた炭鉱を記したこのマップは、彼らがすでに他界した今、自分のルーツを知るためのとても大切な作品になりました。そしてこれは、同時に3億年前に生まれた石炭の時間の記録でもあります。遥か昔に生まれたものが、現代の僕らの生活を形づくっている、そんな関係性も示しているんです。
『SIXTY』という作品では、60個のキューブに1時間、2時間、3時間…とかける時間を増やしながら刺しゅうしていきました。最初の一つには1時間、60個めには60時間、トータルで1800時間。キューブの大きさも時間の測り方にちなみ60mm四方にして、時間を見えるかたちに落とし込みました。
僕は「時間」というものに取り憑かれているんです。時間とは何? 買えるものでもないし誰もコントロールできない、目に見えない存在を、刺しゅうによって視覚化している。
ーー小さな頃からやってきたドローイングと、のちに始めた刺しゅう、二つの違いは何ですか?
感覚的には、僕は今でもドローイングをしているんです。道具がペンから針と糸に変わっただけで、描いているという気分は同じ。違うのは、刺しゅうはドローイングに比べてすごく時間がかかる、精神的にも肉体的にもスタミナの要る作業だということ。ステッチをひたすら繰り返す、それは瞑想的でありリラックスできる作業だけれど、そうじゃない時もあり……ちょっと複雑な、好きだけど嫌い、と相反する感情を持っていますね。ただ、刺しゅうは時間がかかるぶん、いろんなことを考えさせてくれるし、心を落ち着かせてくれる。僕は刺しゅうしながら次の作品のアイデアを膨らませることが多いんですが、手を動かしている時間は思考を巡らす時間でもあるんです。心地よく整えた環境で、ひとり刺しゅうをする時間は、僕にとってはセラピーみたいなもの。世界はクイックで騒がしいけど、刺しゅうは静か。色(自身の作品の白黒配色)といい、その時間のかかりかたといい、静かでスローなものが好きな僕のペースに合ったメディアだと思います。そして刺しゅうを通して、マッピングやサイエンスなど、自分の好きなもの全てを探求できるのが楽しい。自由につくって、遊んで、楽しい時を過ごしているときの自分はまるで子どもみたいだと感じます。そういえば、僕はドローイングは左手、刺しゅうは右手でするんです。そんな面白い違いもありますね。
ーーいくつか思い出の作品を拝見すると、色が使われているのが新鮮です。
昔はグレーも使っていましたね。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート在学中につくったはじめての作品『MY GREY PENCIL CASE』(写真4枚目・左)は、持っていたペンシルケースから着想しました。ペンシルケースって、持ち歩いているうちに鉛筆やペンの跡がついたりしますけど、それは、自分が行動した時間と運動の記録だなあと思ったんです。今とはステッチもだいぶ違いますよね、長い。グレーとオレンジを使った『GREY WITH ORANGE SPOT』(写真4枚目・右)は、生地染めから自分でやりました。グレー染色はピンクがかったりブルーに寄ったりと、色出しが難しかった。この作品には、尊敬するアーティストやギャラリストが審査員を務める「Jerwood Drawing Prize 2011」でファイナリストに選ばれたという嬉しい思い出もあります。僕は色も好きだけど、やっぱり白黒の静けさがいちばん好きなので、二度とつくらないという意味でも愛着があります。
ーーメインに使っている黒い糸は刺しゅう糸ではないのですね。ファブリックも白ではなくアイボリー。
黒はコットンのミシン糸で、主に使う生地は、洗いをかけた無染色のボイルドウール(フェルト)。目が詰まっているから細かく刺せるんです。アイボリーを選ぶのは、染められていない、ナチュラルな色だから。自然のものであり、常に同じ色はないというところが好きです。黒との相性もすごくいいし。生地も紙も、漂白されたピュアホワイトのものにはあまり惹かれないんです。ファブリックは他にフランネル生地も使っていて、最近新たにブラックウールにもチャレンジしています。光を吸収するので見にくいしステッチも難しいですが、白黒のコントラストが好きなので。
ーーほんとうに緻密なステッチですが、これは最初に仕上がりのイメージがあって刺していくのですか? それとも自由に進めていくような?
キューブとかサークルといった枠は決めますが、その中ではノープランで気ままに、ただ空間を埋めていくという感じです。どこにでも行けて楽しいから、以前は刺しゅう枠も使わずにやっていたくらい。だから刺し始めは仕上がりがどうなるか分からないし、全ての作品が違うんです。僕はわりときちっとしたタイプですが、ステッチに関してはすべてが同じでなくていいと思っていて、むしろ二つと同じものがない、ちょっとした誤差や機微が人間の手仕事らしくて好きですね。
刺すモチーフも特に決めていないことが多いです。だから見る人によって、例えば丸い刺しゅうが月に見えたり、地球に見えたり、いろんなものになり得る。あとはどの距離から見るかによっても、感じ方が違ってくるんですよ。
そもそも、僕の作品はまず刺しゅうと気づかない人が多いんです。それで近寄ってみると、やっと刺しゅうだと分かり、いろんなものが見えてくる。僕はひと目で明らかなものよりも、そういう、発見までのプロセスがあるものが好きなんです。
ーー作品制作の傍ら、講義やワークショップなども行われていますが、どのようなことを伝えているのですか?
初心者から上級者まで、全レベルの人たちに教えています。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートではテキスタイル大学院の生徒たちに向け、論理というか、考え方を教えています。思考はものをつくる上でとても重要なパート。作り手のアイデアや伝えたいストーリーというのは、テクニック同様に大切なものですから。
一方ワークショップでは、生徒さんにただ遊ぶことを勧めています。一つのステッチでできることを全部教えたら、ペンを試し書きするようにいろいろやってもらう。ミスは気にせず、まずは遊んで、クリエイティブになる。そのあとで失敗点や、習ったことで次は何ができるかを考えてみればいいんです。素材も、面白い仕上がりを生むための材料なので、サンプラーにはホースヘアーやビンテージシルクなどいろいろな素材を揃えて。糸や生地の組み合わせでさまざまな結果が生まれることを知ってもらえたらと。
ーー今後やりたいことなどはありますか?
やりたいことやアイデアは常に頭にいろいろあるのですが、今年の活動としては、ロンドン、ブリストルなどイギリス国内での展示と、それに向けての制作が決まっています。
ーー最後に、ご自身が思う刺しゅうの魅力を聞かせてください。
そんなに多くの道具が要らなくて、針と糸さえあればバッグに入れてどこでも楽しめる身近なメディアであること。そしてどの文化にも独自の刺しゅうがあって、それぞれに美しい歴史がある。例えば僕が好きなペルーのステムステッチは、2000年前に生まれたテクニックが今もまったく変わっていないとか、そんな事実にも感心させられますし。
あとは言葉が違ってもテキスタイルを通してコミュニケーションができるから、世界の人々をつなぐ手段でもあるように思います。
僕個人にとっては、刺しゅうは世界を理解するため、世界とつながるための大切なツールです。だから飽きることがないし、20年前に学びを始めたときから自分の変化とともにステッチも常に変化・進化している。そうやって時間とともに変わっていくのが面白いなあと思っています。
text & photo : Maki Sekine
取材後記
リチャードの刺しゅうをはじめて見たのは、おそらくSNS上の小さな写真だったと思います。はじめは、写真だったこともあり『これは刺しゅう?』っと拡大してみたりして。
その緻密でいつも変わらぬ温度感の刺しゅうのもつ独特な雰囲気が気になり遠くに暮らす彼の活動を追いかけるようになりました。
個人的に、刺しゅうを手芸と一括りにすることに抵抗があり、でもうまく表現しきれない中で、そんな境界線を軽々とこえ、柔軟だけれどしっかりと揺るぎない筋の通った彼の作品に惹かれたのだと思います。
現状、日本語でしか読めない媒体の取材を受けてくれるかな?っと思いながらもダメもとで依頼したのですが快諾してくれて、貴重な話をたくさん聞くことができ、またひとつ刺しゅうの世界が広がったように感じています。
彼に会うまでは、勝手に『月』だと思っていたものが違ったことに驚きのような腑に落ちたような感覚があり、彼の話す物語のようなコンセプトや想いに引き込まれました。
制作する過程や物事の組み立て方がとても立体的な印象を受け、作品から受けた印象とあまりにもぴったりで、きっととても几帳面な人なんだろうと思ったのですが、実際に会った彼は、とても気さくで、こだわりの強い部分と、柔軟さのバランスがとても魅力的な人で安心しました。
わたしの質問にもとても誠実に答えてくれて、その答えがとても一貫性があるのも彼の揺るぎない世界そのもののようでした。
使用する糸や生地に対しても、長い経験から選ばれた最適なものでありつつ、自然のものから作られているものだからこそ少し変化することも想定のうちという点もさすがだなぁ〜っと思わずにいられませんでした。
個人の作品作りの他に、学校やオンラインなどでも行う授業やワークショップでは、自由に、いろいろな可能性や組み合わせを探してもらうことを大切にしていて、その点はわたしもとても大事だと思っているのでとても共感しました。
わたしも彼のレッスンを受けてみたい。
世界中のアートフェアなどにも参加する彼の作品を日本でも見られる日が早く訪れますように。
atsumi
Richard McVetis
2005年マンチェスター・メトロポリタン大学で刺しゅうの学士号を取得後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでテキスタイルを学ぶ。ロエベ・クラフトプライズ(2018年)等を含む多数の賞にノミネートされ、国内外のさまざまな展覧会にも参加。1月に二度目の個展となる『Into the Night』を開催、3月1〜5日にはロンドン・Somerset Houseにて『Collect 2023』に参加する。
刺しゅうを知る、楽しむ、新しいきっかけを
刺しゅうはきっと、普段の生活に関わるもののなかにひとつはあって、一度は触れたことがある、とてもありふれたもの。しかし、時に記憶の奥深くに残ったり、ものに対する想い入れを強くしたりもする、ちょっと特別なものでもあります。
どうして刺しゅうに惹かれたの?
SeeSew projectは、刺しゅうの作品をつくったり、ライフスタイルに取り入れたりしているクリエイターの方々にそんなことを聞き、改めて刺しゅうがもつ魅力を探るために立ち上げたプロジェクトです。幼い頃にお母さんからもらったもの、お子さんに施してあげたもの、親しい人からプレゼントされたもの。あなたの身近にありませんか?SeeSew projectで話をうかがった方々は意外と、何気ないことを機に刺しゅうに魅了されているようです。