Interview044
Nami Horikawa
暮らしとともに移り変わるものづくり。
May 22, 2023
刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。おしゃれや暮らしに関するイラストエッセイを手がける堀川波さん。イラストレーターとして活躍する一方で手芸本を出すようになった経緯や、確立された独自の仕事観についてお話を伺いました。
ーー堀川さんは様々なジャンルの本を出版されていますが、どういった経緯で本を出すようになったのでしょうか。
生まれは大阪で、大学ではグラフィックデザインを専攻しシルクスクリーンをやっていました。当時はメッセージブックが流行っていたので、シルクスクリーンでイラストと言葉をまとめた作品を作ったりしていました。大学卒業後は上京しデザイナーとしておもちゃメーカーで働きつつ、土日は版画作品を作っていました。友達がロフトで働いていたのでそのご縁もありロフトやハンズに作品を卸していて、版画の方が軌道に乗ってきたので会社を辞め独立しました。
24歳ぐらいのときに、編集の方から版画作品の絵本を作らないかと声をかけてもらって、それからイラストと言葉の組み合わせで本を出し続けています。初めての手芸本を出したのは2018年のときで、つるし雛の本でした。郷土玩具が好きで集めていたので「天然生活」のひな祭り特集の取材をさせてもらったことがきっかけです。2冊目は昔からやっていた背守りの本にしました。エッセイのようなものは出していたけれど、手芸の実用書は全く出していなかったので、元から好きな謂れのある手作りのものをテーマにしました(写真上から1枚目)。
ーーその頃から手芸の方面に向かうようになったのですね。籐や刺し子を始めたは何がきっかけだったのですか。
47歳のときに、ジュエリーブランドが全8回コースで職人を育てるスクールに参加しました。プログラムの一つの中に籐があって、その時に初めて籐を触り卒業制作でも籐のアクセサリーを作りました。教えてくれた作家さんが「籐がすごい好き」という感じだったのも良くて、籐にはまったのが4年前のことです(写真上から2枚目)。今までも書籍を何冊か出してきて、お世話になっている誠文堂新光社の編集の方にこの話をしたら本を出すことになり、「それだったらかごも作れるんじゃないか」という話になって、本の企画が決まってからかごを作るようになりました。
その延長線上で、かごにカバーを付けたら可愛いんじゃないかと思い、刺し子を始めました(写真上から3枚目)。私は細かいことはあまり得意ではなく、面を埋めるような刺しゅうはできないので、1色でザクザクとできそうという理由で刺し子を選びました。タイやラオスに行ったときに道端でみんなが刺しゅうしている様子を見たのですが、そういう刺しゅうが好きで。「あのおばちゃんたちがやっていた刺しゅうなら私にもできるかも」というのがベースにありましたね。作家じゃないとできないものではなく誰でもできるのが刺し子の魅力で、ちょっと雑なぐらいの方が可愛いんです。
ーー刺し子というと藍色の生地が一般的ですが、堀川さんは黒や白が多いですよね。何か理由があるのでしょうか。
色味は「かごに合わせたときに可愛いもの」という基準で選んでいます。籐という素材が私の中では和というイメージではないので、全体的に多国籍な雰囲気に見えるような刺し子にしたくて。藍色だと伝統的な刺し子ズバリ過ぎるので黒と白になりました。かごにつける刺し子に関しては、リネンか別珍のどちらかの生地を使用しています。
ーー堀川さんにとって、思い出に残っている刺しゅうはありますか。
自分の子どもが幼い頃に作った刺しゅうです(写真上から4、5枚目)。生まれたときの手形や子どもの絵を刺しゅうにしたりしていました。息子が“帆風”という名前なのでヨットのマークを入れたりと、背守りは自分で意味を決めて入れました。昔から塗りつぶすような刺しゅうはやっていなくて、ニードルポイントのような感じでブスブスと刺しています。
猫の人形は、豪徳寺の猫をモチーフに作りました(写真上から6枚目)。オンラインショップを始めるときに、一緒にやっている友人と豪徳寺にお参りに行ったんです。豪徳寺というと招き猫が有名なのですが、三重塔にも彫刻の猫がいて。その中の一匹にお気に入りの猫がいるのですが、リアルでちょっと怖いのが良いんです(笑)。参拝してから物事がいい感じに進んでいるので、幸運の招き猫だなと思い作り始めました。
ーー普段から生活の中に刺しゅうが自然とあったのですね。
昔からそうなのですが、暮らしていることがそのまま仕事に繋がっているような感覚です。ものづくりは元から好きでしたが、特に何も先のことは考えていませんでした。ファッションの絵を描き始めたのも、服を作ることになったのも、人との縁が繋がってできたことです。刺し子もやるなんて思っていなかったですし、周りから言われたことを素直にやってみたらそこから広がってきたという感じです。自分のことをわらしべ長者みたいと思っているのですが、暮らしが先にあってそこで面白いことを見つけてきました。これからもやるべきことをこなしていたら自然とどこかに繋がっていくのかなと考えています。
特にこの1、2年は出会う人たちによって、いい方向に導かれている気がしています。籐の本を出版したのがコロナ禍が始まった時期だったので、ワークショップなども全部キャンセルになってしまって。そこからZoomでのワークショップやオンラインショップの立ち上げなどを行ない、全くやったことのない販売にも挑戦するようになりました。イラストがメインだったときは、編集者との一対一のやりとりのみで孤独な作業でしたが、籐や刺し子をやる中で様々な人との出会いがありました。
6月にはENNESTEの泉さん(第42回に登場)主催で、ロンドンの手芸屋・LOOPで刺し子ステッチのワークショップを行う予定です。イギリスやバルト三国、フィンランドを9人の作り手で訪問し、現地の作家さんの家に泊まるなど、ワークショップ以外のアクティビティも盛りだくさんなんです。50代の女性の旅行がこれから増えそうということもあり、今年の秋ごろには旅行記を出す予定なのですが、今回の海外ワークショップは旅行記関連のもの以外にも何か見つけられそうで楽しみですね。
text :藤枝梢
photo : 中矢昌行
取材後記
堀川さんのことを知ったのは、本屋さんで偶然見かけた本だったと思います。その後、SNSを拝見し、様々な活動を知りました。イラストは雑誌などで目にしたことがあり、活動の幅の広さに驚き、お会いしてみたいなぁっと思うようになりました。いざ、緊張しながらご連絡してみると、なんとも軽やかにご快諾いただき取材当日もにっこり出迎えてくださいました。メールのお返事や、SNSの投稿から想像していた通りの方で一番に感じたのが軽やかさ。とにかく何かをつくることがだいすきで、大きな目標を掲げるわけではないけれどそのときそのときに興味を持ったことや、求められたことに堀川さんのやり方で向き合ってこられた結果、今があるというのが魅力なんだなっと思いました。
そして、その根本にはいつも暮らしや生きるということがあります。誰にでも同じように暮らしはあるのですが、それを軽やかに楽しみながらというのが堀川さん流。そんな姿を見た方が真似してみたり、リクエストしてみたり、それをまた面白がって新しいものが生まれたり、とっても自然で無理のないお仕事の仕方なんだと思います。もちろん、ご苦労はあったと思うのですが、そんな苦労さえも軽やかに乗り越えてこられたんだと思うとわたしもこの先の働き方や暮らし方への考え方を少し楽観視できるようにさえ感じました。短い時間でそんな風に思わせていただけるのは人間力ですね。
この取材で、好きだった言葉は『いつも片足』という言葉です。長い間第一線でご活躍されている方だからこそ言える言葉と説得力。目から鱗。恐らく、自分とは全く違う性格だけど、そんなことをさらっと言えてしまうことに憧れてしまいます。
今後も、たくさんのご縁を紡ぎながらご本や展覧会など様々な活動をされていかれると思うので、その瞬間に立ち会える機会を楽しみに、わたしも軽やかに暮らしたいと切に思った取材でした。
atsumi
Nami Horikawa
大阪府出身、東京都在住。おもちゃメーカーでの仕事を経て、イラストレーター・手仕事作家としての活動を開始。『刺し子糸で楽しむ刺繍:気ままにちくちく』(誠文堂新光社)など著書多数。
刺しゅうを知る、楽しむ、新しいきっかけを
刺しゅうはきっと、普段の生活に関わるもののなかにひとつはあって、一度は触れたことがある、とてもありふれたもの。しかし、時に記憶の奥深くに残ったり、ものに対する想い入れを強くしたりもする、ちょっと特別なものでもあります。
どうして刺しゅうに惹かれたの?
SeeSew projectは、刺しゅうの作品をつくったり、ライフスタイルに取り入れたりしているクリエイターの方々にそんなことを聞き、改めて刺しゅうがもつ魅力を探るために立ち上げたプロジェクトです。幼い頃にお母さんからもらったもの、お子さんに施してあげたもの、親しい人からプレゼントされたもの。あなたの身近にありませんか?SeeSew projectで話をうかがった方々は意外と、何気ないことを機に刺しゅうに魅了されているようです。