Interview050
Chisato Asaoka
カリグラフィー、詩、刺しゅう。
これまでの経験が凝縮された“字”という芸術。
November 20, 2023
刺しゅうの魅力や惹かれた理由を聞く連載インタビュー。ブラザー工業で働きつつ、カリグラフィーを習い始めたという浅岡千里さん。カリグラファーとして独り立ちするまでの経緯や、字を刺しゅうするようになったきっかけについてお話を伺いました。
ーー浅岡さんはなぜカリグラフィーに興味を持ったのでしょうか。
ブラザー工業では開発に所属して、タイプライターやFAXの設計などに携わっていました。特にタイプライターの開発をやっていたときは全世界の字と向き合うことになり、そこで毎日字を見ていて「字っていいな」と思うようになったんです。当時から誰かが退職するときにレタリングで名前やメッセージを描いてプレゼントしていて、「こういうのが好きならカルチャースクールに行ってみたら?」と勧められ、名古屋の教室に通い始めたらどハマりしてしまって。レタリングは文字の周りを囲って中を塗るという手順ですが、カリグラフィーは一発描きなので、「それで綺麗な字が描けるなんて!」と感動しました。小さい頃に祖父から書道と水墨画を習っていたので、その経験が活かされた部分もあると思います。線の綺麗さやバランス、紙に対してどのように向き合うかは叩き込まれていたので、ありがたいなと感じますね。
ーーその後、アーティストとして独立するようになった経緯を教えてください。
習いたいと思っていた海外のカリグラファーが来日することになったのですが、仕事を休むのが難しくて。ちょうどそのタイミングで、名古屋の文化センターで習っていた先生が「自分のレッスンの枠を譲りたい」と声をかけてくれ、ならばいっそ仕事を辞めようと決意しました。また、ブラッシュライティングと呼ばれる筆のカリグラフィーも習っていたのですが、そちらの方でも「アンテナショップでのクラスを一緒にやってほしい」と誘われたため、辞めてすぐに複数のレッスンを受け持つことになりました。
退職後は海外にもカリグラフィーを習いに行くようになりました。アイルランドのダブリンで習ったときに、日本がどれだけ生ぬるいかということに気づかされたんです。アートなイメージが強いヨーロッパの方が好きだったので、ベルギーのブルージュで勉強しました。ブルージュはカリグラフィーの街で、看板が美しい手描きのにおいがするんです。初めて行ったときはとても衝撃でしたし、それに憧れているので日本もちょっとずつそういう風になるといいです。
ーーそれから本格的にカリグラフィーの道に進むことになったのですね。
カリグラフィーの世界にも色々あるのですが、基本を習った上であえて崩すのが格好いいと考えられているところがあります。読めるか読めないかのギリギリを攻めたりしますね。こちらはアメリカのレターアート専門誌「Letter Arts Review」に載った私の作品です(写真上から1枚目)。年に1回公募がありそれで選ばれると雑誌で特集してくれるのですが、この作品が刺しゅうを始めるきっかけにもなりました。木漏れ日が差したカーテンを写真に撮り、レースやカーテンの模様、影のつながりで文字に見えるところを拾って、イチから字を再構築しています。そうしてデザインした字で絵に見えるように詩を描きました。
ーーシンプルな字とは違った美しさがありますね。刺しゅうはいつ頃からやるようになったのでしょうか。
小学生のときにクロスステッチを習ったのですが、やりたいものをやらせてもらえなくてすねてしまい、それからは全くやっていませんでした。ですが、ふっくらとしたサテンステッチに憧れて、5年前に白い刺しゅうのブックカバーを作りました(写真上から2枚目)。今見るとひどい出来だけど、何も知らなかったし「頑張ったね」という感じです。帽子に刺しゅうしている作家友達にこのブックカバーを見せたら、「3年間毎日やればなんとか形になるんじゃない」と言われて(笑)。すごい負けず嫌いなので悔しくて、毎日朝ドラを観ながら刺しゅうをするようになりました。続けているうちに目が揃ってくる理由が分かるようになり、立体の作品も作れるし最高じゃんとなりましたね。
カリグラフィーはまだ日本でそんなに馴染みがないので、急に作品を見せたら唐突になってしまうのですが、身の回りのものに刺しゅうをすると話のきっかけにしやすいんです。ブックカバーやブレスレット(写真上から2、3枚目)だと、「これ自分で作ったんですよ。字も自分で描いたんですよ」とカリグラフィーの説明がしやすいんですよね。そんなちょっといやらしい気持ちもあり(笑)、日常使いできるものを作るようになりました。
ーー作品の文章はどのように決めているのですか。
短大での専攻が英米文学科で英米詩が好きなので、昔の詩人の作品を刺しゅうしています。19世紀のアメリカの詩人でエミリー・ディキンソンという人がいて、彼女が刺しゅうについて書いた詩があるんです。そういうのを刺しゅうにしたら格好いいなと思い始めました。インドのタゴールという詩人も好きですね。自分が好きな詩を刺しゅうにするとお守りみたいでより愛おしく感じます。
ーー刺しゅうとカリグラフィー、両方やっているからこそのメリットはありますか。
刺しゅうをするときは下書きをトレースする必要がなく、生地にいきなりチャコペンで字を描けるので作業がスムーズに進められます(写真上から4枚目)。反対に、刺しゅうしてから完成した作品をもとに、字に落とすこともあります。紙に描くときは一回ダメだと全てやり直しになってしまうけど、布だと何回でもやり直せるので、いい刺しゅうができたらそれを紙に落とすというプロセスがやりやすいんです。刺しゅうを始めてから、カリグラフィーに活かせるようになったことも多いですね。
ーー両方に精通しているからこその発見ですね。刺しゅうの生地やカリグラフィーの紙は、どのようなものを使っているのでしょうか。
生地にあまりこだわりはないのですが、リネンやコットンなどの柔らかいものが好きです。肌触りもいいですし、いいリネンは長く残るのでよく使っていますね(写真上から5枚目)。カリグラフィーをするときは、和紙は美濃の薄紙、洋紙はフランスのARCHESというメーカーのText Woveという紙がお気に入りです。
また、蝋引きすると羊皮紙に近くなるのですが、蝋引きすることで魅せる作品もいくつかあります。古いインクは酸が強いのでインクが下まで染みてしまうので、昔の写本は裏写りしているものが多いんです。この裏写りしている感じがすごい好きで。余白に夢中になっていた時期があるのですが、文字間や行間、周りのマージンだけでなく、紙の表と裏の隙間という空間にも強く惹かれていました。それもあってか透けるものが好きで、紙を蝋引きしたり、刺しゅうするときにオーガンジーを使ったりもします(写真上から6枚目)。
ーー生地や紙にも、浅岡さんの世界観が反映されているようです。カリグラフィーのペンもこんなに色々と種類があるんですね!(写真上から7枚目)
普段よく使っているペンは、私の手に合わせて作ってもらったものです。羽ペンを使うこともありますね。ストロー状のものだったら何でもいいので、アラビアだと植物の葦をペンとして使っていたんです。ただヨーロッパには葦があまりなくて、代わりにガチョウや白鳥がいっぱいいたため、羽ペンが生まれました。クイルという専用のナイフがあり、これでペン先を削って整えています。
ーー浅岡さんは、現在はどのようなお仕事をメインに活動されているのでしょうか。
最近はレッスンは単発のみで、展示やクライアントワークが中心です。飲食店の看板やメニューを描いたり、母の日のカードやリースの飾りなど、お花関係のご依頼も多いですね。グラフィックデザイナーと組んで仕事をすることが多いので、デザイナーさんから紹介してもらったり、インスタグラムからご連絡いただくこともあります。
今回撮影で使わせてもらった、このbonnieuというお菓子屋さんもシンボルマークの制作などをお手伝いしました。ある年のガレット・デ・ロワを販売する際には、その年のテーマだった猫にちなんで、字の中に猫が隠れている作品を作りました(写真上から9枚目)。「吾輩は猫の王さまである」とアルファベットで描いているのですが、「Wagahaiwa」のwの右のカウンタースペースが猫のシルエットになっていたり、遊び心のあるデザインになっています。
ーー今後やってみたいことを教えてください。
野望が大きいので(笑)、アートワークを使ってもらえる場所があると嬉しいなと思っています。以前クリスチャン・ラクロワのショーで、床に字をプロジェクターで投影していたことがありました。フランスで活躍しているカリグラファーの作品で、「それ!」となりましたね。舞台に字を提供したり、映画の題字などもやってみたいです。
刺しゅうの方では、レースのつけ襟を作ってみたいです。こちらは刺しゅうの先生に私の図案を具体化してもらった習作になり、一見するとただのレースなのですが、実は全部字でできているんです(写真上から10枚目)。本当はこれを襟に仕立てたいと思っているので、これから挑戦してみたいです。そして刺しゅう用のアルファベットももっとデザインして、暮らしの中に取り入れていきたいです。
text :藤枝梢
photo : junya
取材後記
浅岡さんと出会ったのは、名古屋の個展に来ていただいたのがきっかけでした。お話しを伺うと、カリグラフィーをされているとのこと。わたしも文字が好きで、カリグラフィーにはずっと興味があったので、前のめり気味に作品のことなどを質問したり、お写真を見せていただきました。そんな中で、刺しゅうもされていることを伺い、見せていただくと、なんと素敵な刺しゅう!繊細で優雅で、携帯の小さな画面からもその素晴らしさが伝わってきます。わたし自身、カリグラフィーの真似事(プロの前でお恥ずかしいのですが)のような図案をこれまでにも刺しゅうしていたので、もっともっとお話を伺いたい!実物を見たい!っと取材をお願いしました。お話を伺うと、想像以上の奥深さ。カリグラフィーに興味があるなんて言っていた自分が恥ずかしくなるくらい、カリグラフィーの世界は広くて深い!いくら時間があっても聞き足りないくらいのご経験をたくさんされていました。浅岡さんの一貫した夢を叶えるための努力が確実に実を結び、素晴らしい数々のお仕事につながっているんですね。今回、全て紹介しきれないのが残念なほどたくさんの作品をご用意くださいました。そういった浅岡さんのサービス精神も素敵な方々との出会いを引き寄せる要因なのだと思います。
どのお話もとても興味深かったのですが、中でも、ベルギーにあるカリグラフィーの街というのにとても惹かれました。わたしは、比較的、街の看板やサインをキョロキョロと見ている方だと思うのですが浅岡さんのお話を伺い、看板の見方が変わるような気がします。みなさんも街を歩くとき意識してみてください。
もう一つ興味深かったことは、カリグラフィーと刺しゅうの関係。浅岡さんの作品がペンや筆で描くのと、刺しゅうするのとで道具を持ち替えただけなのだけれどその間を軽やかに行き来していて、相乗効果になっているのが他のアーティストにはない視点で感心してしまいました。
文字を纏いたいと身につけるものに刺しゅうを施すのもとても素敵ですね。文字というモチーフは素敵だけれど、メッセージ性が強くなりすぎたりしかねないモチーフなので言葉選びがとても難しいと感じていたのですが、これまで学ばれたこと、好きなことがそこにも生かされているから説得力と強さと美しさがあるんだなと、またまた納得。
無理を言って、カリグラフィーの実演もしていただいたのですが、その場にいた全員が息をのみ鳥肌が立ち、ワクワクと興奮して不思議な一体感に包まれました。下書きなしですらすらと美しい文字が描かれていく様子は魔法のようでした。
日本では、カリグラフィーがまだあまり知られていないようなので、多くの方に知っていただきたいなと心から思いました。個展などで素敵な作品を見られるので、ぜひ足を運んでみてください。
atsumi
Chisato Asaoka
愛知県瀬戸市在住のカリグラファー(ラテンアルファベット)・テキストアーティスト。文字を扱う機器を開発する仕事のなかで、アルファベットの形や成り立ちに興味を持ち、好きな詩の世界をアルファベットで表現できるカリグラフィーに出会う。描くことは「或る記憶を記すこと」と考え、読まれるための文字ではなく、詩の中に存在する記憶と感情が鑑賞者の気持ちに触れるような線を描きたいと作品制作をしている。2018年から『詩刺繍』という身に纏う詩をコンセプトに、カリグラフィー作品の幅を広げるために刺しゅうの技術を作品に取り入れ始める。
calligraphy:https://www.instagram.com/_ch_is_art_o_/
embroidery:https://www.instagram.com/letter_thread_art/
11月には、フレンチ額装作家の向井理依子さんと2人展を開催。
11月19日(日)~11月25日(土)11:00 – 16:00
カリグラフィー × フランス額装展
La maison de legumes
名古屋市天白区表台154
刺しゅうを知る、楽しむ、新しいきっかけを
刺しゅうはきっと、普段の生活に関わるもののなかにひとつはあって、一度は触れたことがある、とてもありふれたもの。しかし、時に記憶の奥深くに残ったり、ものに対する想い入れを強くしたりもする、ちょっと特別なものでもあります。
どうして刺しゅうに惹かれたの?
SeeSew projectは、刺しゅうの作品をつくったり、ライフスタイルに取り入れたりしているクリエイターの方々にそんなことを聞き、改めて刺しゅうがもつ魅力を探るために立ち上げたプロジェクトです。幼い頃にお母さんからもらったもの、お子さんに施してあげたもの、親しい人からプレゼントされたもの。あなたの身近にありませんか?SeeSew projectで話をうかがった方々は意外と、何気ないことを機に刺しゅうに魅了されているようです。