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産業機器事業40年の軌跡
開発・営業・CS 現場が語る「進化」と「未来」
第1回 ミシン部品の生産から
生まれた、もう一つの挑戦
公開日:2026.10.28
ミシン製造で培った技術をルーツに、ものづくりの現場と向き合いながら進化を続けてきたブラザーの工作機械。今やその累計台数は20万台を超え、世界中の製造現場を支えています。
家庭・工業ミシンのトップメーカーとして知られるブラザーが、なぜ工作機械の開発に挑戦したのでしょうか。そして、そこで培われたものづくりへの想いは、現在の「SPEEDIO」へどのように引き継がれてきたのでしょうか。
連載第1回では、ブラザー産業機器事業の黎明期を知る社員への座談会を通じて、工作機械が生まれた原点と成長してきた軌跡に迫ります。
始まりは
「ミシンをつくるために」
ミシンとともに始まったブラザーの歴史。昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)を開発し、「BROTHER」ブランドが誕生したのは1928(昭和3)年です。その後、ミシンの国産化を果たし、国内外で高い評価を得るようになりました。産業機器事業の始まりも、このミシン製造と切り離して語ることはできません。というのもブラザーの工作機械はもともと「売るために」開発されたものではなかったからです。
ブラザーでは、製品をつくるために必要な生産設備を自分たちでつくるという伝統があります。
昭三式ミシン(麦わら帽子製造用環縫ミシン)
開発・山田さん「もともとは、社内設備としてミシンを作るための生産設備を生産技術部中心で作っていました。それを工機事業部として販売をしていったわけです」
ミシンには標準ネジではなく、特殊なピッチの細かいネジが使われています。こうしたネジを加工するために社内で作られていた機械の完成度が高く、社外へ販売するようになりました。その販売を担ったのが工機事業部です。当時の名称は「工機部」。製造や開発が分かれた事業部組織になる前の一部門だったといいます。
外販のきっかけとなった、
ある課題
そんな機械を社外に販売するきっかけは、ミシン製造の外注先が抱えていた課題でした。
営業・藤澤さん「ミシン製造の外注先で不良品や品質のばらつきが課題に上がったんです。その対応策として『ブラザーの社内設備用の機械を使ってもらったらどうか』との話が出たことが始まりだったと聞いています」
実際に外注先で使ってもらうと、非常に評判が良かったことから、タップや穴あけなどを行う小型のユニット機械(社内では汎用機と呼ばれています)の外販が決まり、そのために事業化が必要になったといいます。もとは社内設備として作られていた機械。それが思いがけず新たな事業の種になっていったのです。
販売を始めたことで、工機部は開発部門、製造部門、販売部門と広がり、事業部として成長していきます。開発・山田さんが入社した1982(昭和57)年当時は、開発部門はまだ製造部のひとつの部署だったといいます。当時扱っていたのは、タッピングマシンやリベッティングマシン、フライス盤などでした。
開発・山田さん
開発・山田さん
「その頃は若手で私はお手伝いする程度の関わりでした。タッピングセンターの前に手がけていたのは、『XYテーブル※』というものです。主軸部分に汎用機のタップユニットやドリルユニットを取り付けたもので、社内のチームメンバーだけで改良や修理まで行っていました」
※XYテーブル:治具やワークなどを平面上で正確に移動させる装置のこと。
この「XYテーブル」こそ、タッピングセンターの前身となる設備機械でした。ただ正直なところ、この製品はほとんど売れなかったといいます。
ゼロから生まれた
タッピングセンター
1980年代、日本経済がバブルに向かっていたこの頃、好景気を背景に労働力の需要は大きく増加していました。その一方で製造現場では人手不足が生じ、効率化や省人化が急速に進行。工作機械にもより高い生産性が求められるようになりました。そんなニーズの高まりを受けて、ブラザー社内でもNCを搭載したタッピングセンターの検討が始まっていました。
ただ、その開発は決して順調なものではなく、技術者たちは当時の常識にとらわれずに挑戦を重ねることになります。
ワイヤー放電加工機や位置合わせを自動化する設備など、生産技術部で社内設備用として開発したものを工機事業部に持ってきて商品化する。当時はそんな流れがありました。しかし、タッピングセンターはその流れとは少し違っていました。
開発・山田さん「工機事業部でゼロから開発しました」
それが、ブラザー初のNC制御装置を搭載したタッピングセンター「CNCタッピングセンターTC-211」です。しかも開発に携わったのは、わずか数人だったといいます。
CNCタッピングセンターTC-211
開発・山田さん「本当に個性豊かな先輩たちが集まっていましたね。開発に長期間かかった印象もありません。基礎知識も経験もまったくないところから始めて、たしか3〜4年でいったん完成させていました。今振り返っても少し信じられないくらい、当時のメンバーたちのパワーと思いを持って開発された機械ですね」
CNCタッピングセンターTC-211は、小型部品の精密な穴あけやネジ加工を行う「タッピング」に適した、穴あけ・タップ専用のNC工作機械です。
タップ工程は、機械加工で最終工程になることが多い重要な工程です。もし、この工程で不良が出てしまえば、それまでに行われた加工も材料も無駄になってしまいます。そんな工程でありながら当時は加工単価が安く、必ずしも重要視されてはいませんでした。
そこに着目したのがブラザーです。加工の効率化と品質向上に向けてタッピングマシンを開発。その進化系として世に送り出されたのが、CNCタッピングセンターTC-211です。そして、このタッピングセンターは、後に金属加工の現場で広く利用されていくことになります。
期待通りの始まりではなかった
タッピングセンターが完成し、販売したからといってすぐにヒットしたわけではありません。営業・長谷川さんは「事業部として大丈夫かなと思う状態でした」と、当時を振り返ります。
なかなか思うようには販売台数が伸びず、話を聞いてくれたのは、家族経営の町工場の職人や中小企業の方々でした。そうしたお客様が一台ずつ導入してくださったことが、始まりだったといいます。
しかし、ブラザーがもともとターゲットに見据えていたのは、大量生産ラインを持つ大手企業でした。
営業・長谷川さん「中でも弱電メーカーさんだったと聞いています。でも、当初はそうしたお客様に受け入れていただくまでに時間がかかりました」
営業・藤澤さんも、当時の状況を次のように振り返ります。
営業・藤澤さん「弱電メーカーさんの図面に『ブラザー工業製BT1、BT3を使え』と書いてあったんです」
(左から)営業・長谷川さん、営業・藤澤さん
BT1、BT3は当時ブラザーが製造していたタッピングマシンの機種名です。このようにタッピングマシンでは知られていたブラザーですが、新たに開発したタッピングセンターはそう簡単に受け入れてもらえませんでした。
例えば、展示会にタッピングセンターを出展すると、多くの来場者が足を止め、そのタッピングの速さに驚きました。当時としては別次元ともいえる速さだったからです。けれど、その驚きがそのまま採用へと結びついたわけではありません。
ブラザーはあくまでもミシンメーカー。工作機械メーカーとしての認知はまだ十分ではなく、大企業ほど信頼性に疑問を持ち、採用に慎重な姿勢を示しました。「ミシンのブラザー」という壁は、意外にも厚かったのです。
しかし、この決して順調とはいえないスタートが、のちにブラザーの工作機械を強く育てていくことになります。
次回は、当時の常識からすれば「非常識」ともいえる技術選択に挑んだ開発の舞台裏に迫ります。
ブラザー工作機械の歩みを知る
キーパーソン
山田 高志
1982年入社
◆ 主な担当業務・経歴
入社後、工機事業部の開発設計に配属。制御装置の開発に従事。製造部の責任者を経て2013年より産業機器CS推進部 部長として全世界のアフターサービス向上に尽力。現在はシニアスタッフとして、インドにおける部品修理サービスの立上げ・育成に取り組んでいる。
松岡 信之
1985年入社
◆ 主な担当業務・経歴
技術部生産技術グループにて社内設備での加工・設計を経験後、SPEEDIOの前身のタッピングセンター開発を手掛ける。営業技術・欧州営業責任者等を経て、産業機器QM推進部 部長として品質向上活動を推進。現在は、シニアスタッフとして社内外での品質向上・不具合未然防止活動に従事。
小笠原 広樹
1986年入社
◆ 主な担当業務・経歴
入社後、工機事業部営業技術課に所属。米国駐在を経てアジア地域営業を担当。シンガポール販売会社出向時にシンガポールテクニカルセンターを設立。帰国後は国内営業担当~海外営業グループマネージャーとして販売に尽力。現在は、シニアスタッフとしてサービス商品開発、カスタマーサポート向上に取り組む。
藤澤 則彦
1988年入社
◆ 主な担当業務・経歴
入社後、工機事業部の販売部門に配属。その後、国内外営業拠点の最前線で活躍。中国販売会社責任者を経て、2022年より産業機器営業部 部長として事業成長を牽引。現在は、シニアスタッフとして営業サポート、人材育成の仕組みつくりを推進している。
伊藤 彰
1990年入社
◆ 主な担当業務・経歴
入社後、工機事業部の販売部門に配属。諏訪→名古屋→浜松→大阪と、国内営業最前線で営業に従事する。2012年より、国内営業グループマネージャーとして国内の拡販に尽力。現在は、シニアスタッフとしてインサイドセールス・拠点営業のサポートを手がける。
長谷川 修
1990年入社
◆ 主な担当業務・経歴
入社後、工機事業部の販売部門に配属。大阪営業所への赴任を皮切りに、大阪→広島→名古屋→東京→欧州→名古屋と転勤を繰り返しながら、常に前線で販売を担当。現在は、シニアスタッフとして豊富な営業経験を営業サポートに生かしている。
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文:中村美智子
編集プロダクションでの仕事を経て、現在は静岡県にUターンしてデザイン事務所所属のライターとして活動中。企業プロモーションのライティングをはじめ、某プロリーグのホームゲーム演出台本や展示会のプレゼン台本なども手掛ける自称体育会系ライターです。
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編集:有限会社学遊社
静岡県浜松市を拠点に活動するデザイン事務所。グラフィック、ウェブ、映像制作、イベント会場演出など幅広いジャンルのデザインに携わっています。
https://www.gysdesign.jp/
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